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政策委員会 第14回


保守にとって経済政策とは何か
講師 フリージャーナリスト 東谷暁 氏

平成22年4月14日
下村博文政策委員長
 それでは始めさせていただきたいと思います。今日は第14回の政策委員会ですが、まもなくこられる参議院議員の西田昌司政策副委員長のご紹介で東谷暁先生にお越しいただいて、「保守にとっての経済政策とは何か」というテーマでお話をいただくことになっております。
 保守主義としての旗というのはけっこう共通認識として立てられるんですけれども、前回も政策委員会の正副委員長会議があったときに、構造改革をどう総括するかという議論がございまして、経済政策について保守主義の視点からきちっと議論をして、また総括をしていく必要があるのではないか。これは清和研だけでなくて、自民党そのものも総括する必要があるのではないかと思います。
 そういう中で、これから一つの大きな柱として経済政策についての勉強会を続けてやっていこうということがそのときに決まりまして、いずれ小泉(純一郎)元総理にもここにきていただいて、講師として小泉構造改革についての総括を小泉元総理からもぜひお話をしていただければ大変ありがたいと思いますが、今日は東谷先生にそういう視点からお話をしていただきたいと思います。
 お手元にプロフィール等をお配りしてありますのでそれをごらんになっていただきたいと思いますが、東谷先生は精力的に政治問題や経済問題のレポート、論文、単行本を書いておられまして、ここに書いてあるとおりでございます。
 それでは、よろしくお願いします。

東谷暁講師
 東谷でございます。こういう場にお呼びいただきまして、誠にありがたい思うと同時に、当惑しているところもあるんです。
 略歴をごらんになっていただくとわかるように、私はいろいろな経済政策を提言したりマスコミに出てきて発言している経済学者やエコノミストたちが、いかに一貫性のないことを話し続けているか。コロコロコロコロと話を変えて、あたかもそれが正しいかのように言っているということを指摘する本を、何冊も出しておりまして、エコノミストおよび経済学者たちからは非常に評判の悪い人間でございます。
 そういう人間が、今日は保守にとって経済政策とは何かということを話すようにと言われまして、非常に光栄であると同時に、こういう場でとんでもないことを言って皆さんにあきれられたり、それから失言をして叱られたりしないとはかぎらないなと思いつつやってきたんですが、時間がないのですぐに内容に入ります。
 第1番目に私が申し上げたいのは、保守にとっての経済政策、これが保守にとっての経済政策なんだというものはないということです。
 そういうことを言いますと、さきほど、レジメをご覧になった下村委員長から、それじゃどうしようもないじゃないかというお話があったわけなんですが、私が言いたいのはどういうことかといいますと、日本の今までの20年間、経済政策を考える際に、レーガン政権がとった経済政策と、それから英国におけるサッチャー政権が採用した経済政策があたかも金科玉条のように扱われることによって、日本の経済政策というのが非常に硬直してしまったんだということであります。
 経済政策というのは状況次第、状況によるものでありますから、それがサッチャーのようにやらなくてはいけない、あるいはレーガンのようにやらなくてはいけない、そういうふうになってきますと非常に話がおかしくなってくる。
 しかも、実はここには神話がありまして、レーガノミックスというものは失敗いたしました。失敗しているんですね。これが、90年代になって日本の景気が悪くなってきたころに、レーガンにあやかればどうにかなるんじゃないかと言われるわけですが、レーガンがやったことは何かというと、もちろん規制緩和をやりました。これが成功したかしないかというのは二つの意見がありますが、まあ、成功したとしましょう。
 それでは、例えば景気はどうだったのか。これはどうやったかといいますと、軍事費に思いっきりおカネを充てまして、それから規制緩和をして減税をした。レーガンは何を攻撃対象にしたかといいますと、民主党のケインズ主義的経済政策を攻撃していたわけでありますが、自分がやったのは何だったかといいますと、いわゆる「軍事ケインズ主義」と言われている、同じようなケインズ主義だったわけであります。
 したがいまして、彼が任期が終わりまして退くときに巨大な双子の赤字を生みだすという結果になり、保守派のジョージ・ウィルという有力な評論家がいるんですが、彼はこんなものはオレたちが求めたものじゃなかった、オレたちアメリカのコンサバティブが求めたものじゃなかったんだと言って、激しく批判したということがございました。
 それからもう一つ、サッチャー政権の経済政策、私はレーガン政権の経済政策に比べればサッチャー政権の経済政策のほうによっぽどシンパシーを感じるわけでありますが、これも言われているように何から何まで成功したわけではございません。特に、ミルトン・フリードマンというアメリカの経済学者が主張しておりました、経済政策というのは景気の動向に合わせて通貨量を一定の割合で増やしていけばそれでいいんだ、あとは経済には何の手も出してはいけないんだという、いわゆるマネタリズムの政策というの採用したわけですが、結局、サッチャーはこの性格を途中で放棄せざるを得ませんでした。
 ですから、サッチャーが自伝に書いておりますように、彼女の発言にはハイエクとかミルトン・フリードマンとか出てくるんですが、ミルトン・フリードマンの主張したようなことをやって成功したというわけでは全くありません。ところが、ここらへんが神話になっておりますので、ミルトン・フリードマンが主張したようにマネタリズムを採用すればうまくいくのではないかという神話が、いつまでも生き延びたということであります。そういう神話に呪縛されておりますと、むしろ日本の経済政策はなかなかやりにくくなる。そういうことだと思います。
 それから第2番目に、経済学は政策を本当に決定できるほど厳密な意味で科学なのかということでございます。いちばんいい例が、今アメリカでどういうふうになっているかといいますと、アメリカの経済学者の有名な人たちは、生産性を上げて、それからいざとなったらものすごい金融緩和をすればすぐ立ち直れるという説を唱えてきました。特にそれを主張したのがポール・クルーグマンという人気経済学者でしたけれども、この人は日本にはインフレターゲット論、インフレ目標政策というものを売り込みました。
 ところが、アメリカが2007年からアメリカ経済が急激におかしくなったら、彼は何と言ったかといいますと、インフレターゲット論は効かないから財政出動にしましょうといったわけです。あっという間に財政出動論者に変わってしまったわけであります。で、現実に何が起こっているかというと、何のことはない、財政出動をやって金融を緩和するという、昔からの危機の時代における経済政策に戻ってしまったわけであります。
 これはちょっと口はばったいんですが、例えば先程も話に出た構造改革、2001年に構造改革を始めるときに経済学者たちが何と言ったかといいますと、構造改革の経済政策は労働生産性を上げるから、5年間は苦しいかもしれないけれども労働生産性が上がるから経済は立ち直るんだということだった。
 ところが、面白いことにと言ったら申し訳ないんですが、2007年の1月だったでしょうか、当時の女性の経済財政担当大臣が、こともあろうに国会で「日本の経済はもう一流とは言えなくなりました」と声を詰まらせて言った。なぜ日本の経済が二流になってしまったのかといえば、労働生産性が上がっていないからだというわけであります。これは、皆さんお気づきでしょうけれども、サッカーで言ったらオウン・ゴールであります。2001年から7年間、構造改革の経済政策をとり続けてきて、もし労働生産性が上がらなければ失敗したということになるわけであります。ところが本人が気づいてないんですね。
 つまり、経済学、あるいは経済学者たちが言っていることというのは、ある種の可能性の一つとしてとらえたほうがいいのではないかということです。そうせざるを得ないんですね。テレビとか雑誌を見ていますと、彼らはすごく自信たっぷりにものを話し書いております。例えば今の経済学で、財政赤字がどんどんどんどん降り積もる、それが将来の人たちに負担になるということを何の疑いもなく語っております。実は、これも経済学者たちの間では統一見解を見ておりません。
 変だと思われるかもしれませんが、例えば国債を私が買ったとします。そのことで将来の世代に借金になるということを言われております。しかし、私に息子がいれば、私の国債はその息子に引き継がれるわけで、息子はその国債の償還に応じれば、私の払ったおカネはちゃんと利子付きで手に入りますから、全然負担になってないではないか。こういう議論をいろいろやっていきますと必ずしも統一見解はない。
 それから、先程、労働生産性のことを申しましたように、労働生産性を上げる経済政策って一体あるのか。先程の女性の財政担当大臣がおっしゃった話では存在することになっておりました。ところが、彼女の名前で出た2007年の「経済白書」をよく読めばわかるように、例えばm&aによって労働生産性を上げる、あるいはitを導入することによって労働生産性を上げるというような政策は、ものの見事に失敗していたわけであります。
 m&aをなぜやるかというと、m&aをやってそのときに要らない議員をクビにするためであった。それから、itを入れるのもなるたけ人員を減らすためにやる。で、結果的にどうなっているかというと、労働生産性はしばらく上がらなかったわけであります。こういう矛盾だらけの話を、いかにも科学であるかのように話しているのが経済学者というものでありまして、それから今日は時間が短いのでくどくどとは申しませんが、私たちが意外に思うようなことも、まだ何の証明もされていないことが多いわけであります。
 そういうことを踏まえて第3番目、また最初に戻るわけでありますが、アメリカにおいても英国においても、常に適応可能な保守の経済政策というのはあるのかと言ったら、私はないというふうに答えるしかないと思っているんですね。
 例えば、アメリカ共和党のニクソンは、「われわれはすべてケインジアンなのだ」と言ったことがありました。まだニクソンが政権を担った時代にはそれほどケインズ主義に対する攻撃は激しくありませんでしたし、それからそれ以前の民主党政権とあまり違わないような経済政策をやっても何ら支障がなかったわけであります。
 同じように、例えば英国保守党のフランシス・ピムという人は「保守主義者にとって社会保障は非常に大切だ」と発言しましたが、私はこれはあたりまえだと思うんです。しばしばあたかも社会保障をどんどん切っていくのが保守主義であるみたいな言い方をする人もいるんですが、これは全く間違いであります。しかも、もっと言いますと、レーガン政権ですら、社会保障というのはなかなか削れなくてさんざん苦労したわけであります。そういうことを考えますと、これが保守思想の持ち主の経済政策なんだ、どうも「これだ」ということを出すのは難しいのではないかということなんです。
 ただし、ここからが問題なんですが、保守の経済政策にはスタイル、姿勢、それからもっと言えば思想があるということはやはり間違いない。少し距離を持って見るために、あまり近い話ではなくて19世紀のイギリスの事例を見てみますと、19世紀の保守党対自由党の時代、今の日本の民主党が理想とした2大政党制がほぼ成立していたと言われている時代があります。保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンが交替で次々と政権をとりまして、2大政党制を現出させたと言われておりますが、この2人は、実は両方とも保守党出身、トーリー出身です。
 ところが、1846年の穀物条例の廃止というのが大問題になりまして、このときの首相がピールという人だったわけであります。ピール首相は保守党なんですが、考え方が非常に自由党に近かった。それで、穀物の輸入を制限するのをやめてしまって自由貿易に切り換えようという話になったわけであります。このときに、グラッドストンはピールにつきました。しかし、保守政治家として非常に名高いディズレーリはこれに賛成いたしませんでした。それはあまりにも急激にイギリス社会を変えてしまうから、しばらく様子を見たほうがいいというような姿勢を見せたわけであります。
 それでは、ディズレーリという人は自由貿易に関心もなければ何の措置もしなかったのか。この穀物条例が決まってイギリスが空前の自由貿易国として繁栄を続けていくことになりますが、ディズレーリは政権をとっても、自由貿易は変えようとしませんでした。つまり、彼は自分のライバルであるグラッドストンたちが導入したイギリスの自由貿易というものを、ある意味で認めてしまったわけでありますね。
 ただ、認め方が非常に渋いところがありまして、自由党のグラッドストンという人は自由貿易がイギリスにとってものすごく繁栄をもたらすのだと声高にいう。それから、同時に選挙制度を変えることによって大衆を政治にどんどん巻き込む。この二つに関して、信念というか、信仰にも似たような感覚を持っていたと言われております。それは、書いてるものによって知ることができるわけでありますし、それから演説とか法案の出し方、そういうものを分析していきますと、どうもグラッドストンという人は、自由貿易もいいし、それから大衆の政治参加も素晴らしいことなんだと、わりと心から手放しで認めてしまっているところがあるわけであります。
 ところがディズレーリは、この人はすごい洒落者で、着ているものもおしゃれで、それから実は作家なんですね。『シビル』という有名な小説がありますが、当代の有名作家でもあったんです。この男は自由貿易と大衆参加に関して、自分も法律を変えたり自由貿易を加速するようなこともしましたが、どうも書いてるものとか法案の通し方とか、そういうものに非常に慎重さが見られるわけであります。自由貿易とか大衆参加について、信仰のような気持ちはなかったと言われております。こうすれば、この政策でイギリスが抱える問題がみんなうまく解決するなどということは一切言わないし、書かないんですね。ここらへんが、ディズレーリとグラッドストンの違いであろうと思われます。
 例えば、ディズレーリが選挙法を変えて選挙民の数を増やすときは、1回で大体11万人ぐらい増やしてそれでよしとするわけであります。それにたいして、グラッドストンが政権をとりますと、いきなり400万人増やしたりするんですね。こういうやり方の違いというところにもあらわれてくる。で、あとから見て、まあ、当代の人も思ったに違いないんですが、ディズレーリというのは非常にコンサバティブな、保守的な政治家である。渋いと。それに対してグラッドストンは非常に自由主義的で、ある意味で信念の人なんだけれども、ときたま極端なことをやる人物なんだ。そういうふうに見たわけであります。
 いま、グラッドストンは自由貿易とか大衆参加に信仰心に近い感じを持っていたと言いましたけれども、彼の当時の自由党の背景になっていたものは何かといいますと、急進している産業資本でございました。すでに産業革命が達成されておりましたので、どんどんと産業資本家とか産業組織が成長していく。そこから上がってくるおカネと票、それをグラッドストンは手にしようとしていた。
 それに対してディズレーリは合従連衡のような手口を使います。まず、貴族や比較的小さな地主、それと労働者も自分たちの陣営に入れようといたしました。そのことで、急速に社会を変えてしまおうとしている産業革命と産業資本家たちの急進性をそれで制御しようとした。そういう政治家でございました。やっていることは、それほど違わないのでありますが、先程の繰り返しになりますが、今回は11万人増やすくらいにしようと慎重なのに、一方でグラッドストンはいきなり400万人増やす。そういう違いとなってあらわれるわけであります。
 なぜこんな話をしたかと申しますと、アメリカはいざ知らず、イギリスあたりで保守思想家と言われている人は、実はほとんどが政治家なんです。私たちは大学とか高校あたりの倫理社会などの教科書で学びますと、大体、書斎に閉じこもって難しいことを考えている人たちのことを思想家というわけであります。ところが、イギリス生まれの保守思想というものは、実践を伴った、ほとんどが政治家によって考えられた、あるいは政治家たちが示したものを思想だというふうに考えられるわけです。
 実は、保守にとって経済政策とは何かというふうなことを考えていったときに、皆さんが保守思想家であるならば、皆さんがおやりになったことが保守の経済政策になるわけであります。ところが、それを逆のように考えておられるんですね。何か保守的な経済政策というのがあって、それを状況に当てはめて考えていく。そういうふうな思考がこの20年間、そっちのほうが普通なんだと思われるようになってきてしまった。
 だから、保守の経済政策とかという話になってしまうんですが、そうじゃなくて、保守的な思想を持っていて、具体的に言いましたら日本社会とか日本の将来、それから地域社会とか、それをどうしたいというのがあって、さっき言いましたようにどっちみち経済学なんていうものはまだ不完全ないい加減なもので、せいぜい道具なのでありますから、その道具を使ってどこまでやれるかと考えるのが保守の経済政策である。
 たんなる言葉の綾にすぎないような気がする方もいらっしゃるかもしれませんが、歴史を見た場合にはそうなんですね。これが保守思想だなどというものは、なかなか見いだしにくい。ただ、たまたま政治家でもあり、文筆業もやっていて、それからいろんな保守思想的な発言もやったし行動もやったという人たち、たとえば、エドモンド・バークとかそういう人たちが注目されていますが、それは保守思想というものの氷山の一角なのであります。氷山の一角だけじゃなくて、イギリスの保守思想の全体像を見れば、大体が政治家たちがやったことが保守的だと呼ばれている。そういうことなのであります。
 少し付け加えると、そのときそのときで同じ保守政治家でもやることが異なるというのは当然なことなのでありまして、平穏無事のときにどんどん経済を加速することを政策としてやったらバブルになってしまうわけであります。逆に、不況のときにサッチャーと同じことをしたいといって、危険な橋を渡るような危うい経済政策のことばかりやっていれば、ひょっとして、それが失敗したらかえって衰退を早めてしまう。そういうことがあり得るわけであります。
 ちょっと参考にしていただきたい資料とかを今日持ってまいりました。これは本当に参考にしかなりませんが、例えばいまだに小さな政府が保守の経済政策だとか、そういうことを言っている方もいらっしゃいますけれども、私はこのデータを見ただけで日本の政府が大きいなどとは全くいえないと思います。
 例えば、2001年の総務省の発表では、日本の場合、1000人に対する公務員の数は35.1人しかいなかったわけであります。このいちばん上の国名「日本」のa欄の公務員というところを見ていただければ35.1人しかいなかった。ドイツが58.4人、イギリス70.0人、アメリカ80.6人、フランス96.3人。日本の公務員は他の国に比べてあまりにも少ない。これはもちろん独立行政法人、それから特殊法人、周辺の政府系企業とか全部入れて比較しているわけであります。
 あまりにも少ないのでまずいのではないかという話になりまして、たぶん総務省だったと思いますが、じゃ、民間にやらせてみたらどうだろうということになった。それが野村総研の、2005年だったと思いますが、左のほうの1000人に対して44.20人。やっぱり増えたじゃないかという人もいたんですが、同じ基準でやりますと他の国も増えますので、日本はやっぱり公務員数は圧倒的に少ない。ドイツ69.6人、アメリカ73.9人、フランス95.8人、イギリス97.7人ですね。
 それから、公務員に与えている給与、対gdp比で何%なんだろうと計算しますと、b欄ですが、これも群を抜いて少なくて6.3%。ドイツ7.89%、アメリカ10.16%、フランス13.72%。そこでbをaで割る。これは何を意味するかといいますと、国民1人当たりgdpに対する公務員1人分の報酬の倍数ですが、日本の場合は1.42、フランスは1.43、それからアメリカは1.37とあまり違わない。ちょっとドイツだけが1.13と安く済ませている。
 それから、対gdp比で一般政府支出はどのくらいかを見ましても、アメリカと並んで36.4%と、いちばん低い国であります。公務員数も政府支出もここまで低い国はないわけで、むしろ、公務員については少なすぎて危ないのではないかとすら思えます。
 資料のいちばん下を見ていただければ面白いデータがあるんですが、これは英国の公務員数のグラフなんですが、数字をちょっと小さくしすぎまして、左のいちばん上の数字が6000であります。上のほうの英語はサウザンドでありますから、1991年の時点でイギリスには600万人の公務員がいたということになります。
 それを、保守政権でサッチャー政権のあとに政権につきましたメイジャーたちが、サッチャー政権の路線を継承しましてどんどんどんどん公務員を減らしていったんですね。それが97年まで続き510万人台まで下落しました。ところが、この時点で実はもうとんでもないことになっていたわけであります。公務員を少なくしすぎましていろんな弊害が生まれておりました。それで、ブレアが97年に政権についていちばん最初に何をしたかといいますと、公務員の増強、それと医療費の増額をやったということでありまして、急速に伸びている。2005年には、もう、600万人ちかくまで戻っていますね。
 どなたかだったか、上げ潮派の方が中央官庁の公務員は3分の1にすべきだとか、もっとすごい人は5分の1にしていいんだとかいっております。それから懺悔の本を書いたと言われております中谷巌さんという経済学者が、自分は新自由主義的な経済政策というのはもうだめだと思ってこの懺悔の本を書きましたと言って、その舌の根も乾かぬ3カ月後に何と言ったかといいますと、中央官庁の公務員は3分の1でいいと言い出した。それこそ新自由主義の思想ではないかと私は思うのであります。だから私は、あの人は全く信用できないと思っているんです。
 というように、状況、状況で変えていかなくてはいけないというのが経済政策でありまして、経済学が指し示してくれるということはあくまでも技術でございます。技術的な知識であります。それから、皆さんがおやりになっている政治というものはいわゆる実践的知識といいまして、いろんな矛盾とか何かを抱え込みながら、ある場合には堪とか何かをつかったりして、それから人間関係でそれを押し進めるという実践的知識であります。
 どっちが上位にこなくてはいけないか。もちろん実践的知識であります。ですから、経済政策を決めるのは皆さん政治家なのである。経済学が指し示していることは単なる技術的知識でありますから、使えばいいのであります。何がいちばん大切かということは、先程も申しましたように、皆さんが日本をどうするか、どんな社会がいいと思うのか、10年後の日本がどうなっていたらいいのか、まずそれをお考えになっていただくことが先決であろうと思うのです。非常に生意気なことを言いましたが、与えられた時間を過ぎましたので一旦切らせていただきます。

下村政策委員長
 ありがとうございます。目からウロコというか、独特の視点からお話をしていただきましたが、先生方からご質問、ご意見等をいただきたいと思います。
 まず私のほうから、今の民主党の、これは社会主義的なばらまき政策だと思うんですね。ただ、経済政策として何をしようとしているのか全くわかりませんけれども、これについての対極としての、それが保守としての経済政策という意味でわれわれはとらえてこれから考えようとしているわけですけれども……。
東谷講師
 ただ、注意しなくてはいけないのは、今の民主党の経済政策というのが、あれが大きな政府だと思ったら全く間違いでございます。なぜなら税金を拡大しないんですから。またやると言いはじめているようでありますが、例えば今おっしゃいましたような社会民主主義的な経済体制というのは、福祉もいっぱいやるけれども税金もゴッソリ取るということなんですね。で、民主党が今やっているのは、福祉はゴッソリやります。おカネはあんまり要りませんと言っている、それでは借金が大きな政府になるだけなんですね。
 ですから、実は攻め込む穴はいっぱいありまして、大きな政府にするな、社会民主主義だからいけないではなくて、ただの無意味なばらまきであるというふうに批判したほうが私はいいと思っております。ただ、マスコミと大衆受けを狙ってやって、いかにも大きな政府の社会民主主義的な政策のように見せておりますが、こんなのはあっというまに破綻するに決まっておりますので、ほとんど論じるに足りないようなものだと思います。それにまともに対抗しようと思うと、かえって間違う部分も出てくるんじゃないでしょうか。
 それが逆に私は非常に気になっておりまして、例えば郵政民営化の見直しについて、私はこの間、産経新聞のコラムにも書いたんです。私は、郵政民営化に本まで書いて反対した人間であります。しかし、今の国民新党さんと民主党がやっている見直しに関しても全く反対です。ああいうのは単なるでたらめというものでありまして、なんで私が小泉政権の郵政民営化に反対したかといえば、こうなっちゃうからなんですね。
 もう完全に政治化されてしまって、自分たちの手柄話にしてしまうための改革の応酬になってしまうわけです。与党はいつのまにか「郵政改革」と呼んでますね。これは卑怯者のやることです。彼らは「見直し」をやらなくてはいけないんです。見直しをやらなくてはいけないのに、いつのまにか改革と呼んで郵貯の上限を2000万円まで上げて、政府の保有株式を3分の1までにして、3分の2は放出してしまうというのです。しかも、株式を市場に放出する企業がその資金を使って公共投資をするという。バカなことを言わないでほしいと思う。あまりにも矛盾が大きすぎるので、あの人たちの言っていることを真に受けて、その対抗策という発想をすると、かなり危ういのではないかと非常に気にしているんです。

下村政策委員長
それでは、今の先生の問題提起も含めまして、ご意見、ご質問いかがですか。

西田昌司政策副委員長
 いや、先生の言われるとおり。
 つまり、僕もいつも言っているのは、今の民主党の政策というのは、ある種、自民党のアンチでやっているということです。だから、構造改革は間違っていたということでやっているんですけれども、その構造改革とは何かということの整理すら民主党も言ってませんからね。ところがまた自民党のほうも構造改革とは何かということの整理をしなくておかしなことになっているのです。だから自民党が、アンチ民主党の政策をしますということになると意味不明なんですよね。だから、郵政の民営化なんて本当にそういう問題でして、まずそこの整理を自民党の中で僕はぜひしていただきたい。
 特に、僕が東谷先生を推薦した理由というのは、まさに構造改革の震源地というのは清和研であって、そこからそういうことも含めてもう一度見直しをやろうじゃないかというのは非常に意味があると。そういう意味で実は推薦しまして、非常によかったと思っています。

東谷講師
 あまり質問もないという感じがしますのでお話し申し上げますけれども、ケインズという人の話をちょっとさせてください。ケインズという人の経済学がケインズ主義と言われていますが、財政出動をガバガバやって福祉を大きくするのがケインズの考えだったかというと、そうではないんですね。
 あの人は、実は保守主義の代表的な思想家であるバークの研究家でもあった。属しているのが自由党というところがちょっと変なんですが。例えば、1924年から25年にかけて、第1次世界大戦のときに凍結しておりました金本位制に復帰することになった。そのときの保守党の蔵相チャーチルが、戦前の旧平価、旧レートに基づいて金本位制に復帰しようということを言ったわけであります。
 これに対してケインズは激しく攻撃いたしまして、自費でパンフレットを作って配りました。「チャーチル氏の経済的帰結」というタイトルですが、チャーチルは何を狙っていたかというと、旧レートでの復帰はロンドンのシティと金利生活者が得をするんです。なぜかというと、今でも通貨が強くなれば海外への投資が非常にやりやすくなります。で、そのリターンはだれが手にするかというと、シティの金融資本家と、それから金利生活者であります。
 それに対して、ケインズがもっと低い新レートで復帰しようじゃないかということを提案いたしました。それは何を背景にしていたかといいますと、まだイギリスは産業で、つまり製造業とかものづくりとか、そういう産業で伸びていく余地がある。それなのに、今、金融の海外への投資を加速するようなことだけを考えているチャーチルは、やはりおかしいのではないか。あくまでも我々はイングランド一国の繁栄というものを確保しなくてはいけない。そういうことをはっきり言ったわけであります。
 実は、先程ディズレーリがどういう人だったかをお話しするときに言い忘れたんですが、彼が主張したいろんな主張の集約的な言葉というのがありまして、「ワン・ネーション・コンサバティズム」と言われているんですね。「ワン・ステート・ソーシャリズム」というと「一国社会主義」で悪口になってしまいます。本当はインターナショナルでやっているはずの社会主義が、ソビエトは一国だけでやってしまったじゃないか、だからだめになったんだというような左翼の言論もありますが、そうじゃなくてワン・ネーション・コンサバティズム、つまり一国民保守主義ですね。自分たちの国を一体感を維持して政治を進めようじゃないかということです。
 そのときにシティというのはどうなっていたかというと、「見えない帝国」と言われておりまして、とにかく海外へ投資して自分たちのシティの金融資本の延命を図ろうとしていました。この当時、それに乗っちゃったのがチャーチルさんなんですね。保守主義思想から考えると、チャーチルさんはこの時点では間違っていたのではないか。あるいは、大英帝国というものを、あまりにも過大に評価していたのではないか。なぜならば、もはやすでに別の帝国アメリカがイギリスを圧倒しようとしていたからであります。
 ケインズはそのことを見てとりましたので、とにかくイギリスの強みである国内の一体感と、それから製造業の経営者や非常にまだ優秀な労働者たちが、一体になって現実問題にあたってはどうか。そういうことを提言した人間であります。
 ですから、ケインズの有名な『雇用・利子および貨幣の一般理論』がありますが、このチャーチル批判の10年後ぐらいに彼が発表する、今や古典となっていて悪口の対象にもなっております本なんですが、これも一国民経済学なんですね。あんまりグローバリズムをやっちゃうと本国の経済がやられるよという、そういう思想であったわけです。
 もちろん、今の時代と必ずしもパラレルにならない部分もありますが、アメリカにしてもあんまりグローバリズムを進めていますと、それこそ昔シティだけが繁栄してイギリス自体がどんどん衰退していったように、ウォール街だけが繁栄してアメリカ自体がどんどん衰退するということだってあり得るわけです。経済というものにはそういう怖い部分がありまして、そういう事態を見越して論じていたのがケインズだったというふうに私は解釈しております。
 ですから、最近ケインズ主義の復活というふうな話がよく語られるわけでありますが、これも注意しないとまちがってしまう。先程も言いましたように財政出動をやって金融緩和したからといって、すぐ助かるという話ではないわけであります。
 皆さんご存じの方が多いと思いますが、学生のころにケインズの入門書、あるいはケインズの解説書をお読みになった方は、ケインズの理論の中心になっている乗数理論というものをお知りになったと思います。つまり、経済の波及の度合いを示す乗数が10のとき、財政出動を例えば10兆円やると100兆円分の効果があるんだというわけです。実は、ケインズ自身はそんなことを信じていたわけではありません。理論を説明する例としてあげただけなんですね。彼が、当時のイギリスの乗数はいくらだと思っていたかといいますと、ちゃんと他の著作に残っておりまして、1.5倍なんです。例えば10兆円の財政出動をすると、15兆円ぐらいの効果しかないと、彼はちゃんとわかっていた。
 このあいだ、アメリカで乗数理論の論争がありました。オバマ政権、それからオバマ政権に今ベッタリとくっついておりますポール・クルーグマンは1.5であると、ケインズ並みのことを言ったわけであります。それに対して、共和党系の経済学者たちが何と言ったかといいますと、アメリカは0.8しかないと反論したわけであります。しかし、0.8であろうと1.5であろうと、いくらうまく財政出動しても、それだけで経済全体が立ち直るなんていうことはまずないであろうと思われます。そこらへんを考えないと、経済学万能主義みたいな議論になってしまう。
 それから、インフレターゲット論者というのがいまして、どんどん金融を緩和すれば経済は立ち直ると言うんですが、これも非常に単純なモデルを設定して、そのモデルにもとづいて計算して、高いインフレ率を定めてお金を増やせば、経済が立ち直るんだというような推論をしているにすぎません。
 じゃ、何がケインズ主義の復活なのか。実は、不況期の経済というのは政治主導にならざるとえないということなんですね。政治がまず経済政策のイメージを持たなくちゃいけない。そこから始まるんじゃないかということを、また強調したい気持ちがいたします。すみません、繰り返してしつこいですが。

末松信介委員
 2年前の9月15日にリーマン・ブラザーズが破綻しましたね。それまでいろんな金融工学から生まれた商品というか、cdsとかあんなのが6000兆円ぐらいあったと。いろんな仕組みをあのとき勉強しましたんですけれどもね。
 ただ、アメリカのgdpの7割、8割が消費でしょう。で、日本が6割ぐらい。それで、向こうは金融関係、建設関係、不動産関係に勤めてる方のほうが、製造業者、農業従事者より多いわけですね。ものづくり的なものは全部中国に任せてしまってそういうことをやっていた。で、借金して世界中のカネをアメリカに集めてきた。それが4500万コくらいのうちの500万コぐらいはサブプライムですね。残りがプライムになりますけれども、その20%ぐらいこげついたらバカッとマーケットバリューから離れたというか。これは行き着く先であったのかどうかということなんですが。

東谷講師
 行き着く先だったと思います。というのは、まずitバブルが崩壊しますね。itバブルが崩壊したときに何をしたかというと、frbのグリーンスパンがものすごくメチャクチャな金融緩和をしたわけです。そのとき緩和をやらなきゃおかしいだろうというのは、これは正しいとしましょう。経済政策というものは、ちゃんと時を選んでやるわけでありますから正しい。しかし、グリーンスパンはそれを延々と続けた。
 延々続けて、今度は住宅バブルが起こったのも偶然ではありません。誘導したんですね。もうすでにitバブルが起こっているときに、住宅バブルの兆しが見えていました。それで金融緩和をして、しかも皆さんご存じのように、サブプライムに関する規制とかそういうのをどんどん取っ払っていったわけです。
 グリーンスパンがずるいのは、自分のfrb議長をやめたあとの自伝でも、それから今でも、この間また発言しましたけれども、ファニーメイとフレディマックを批判するわけであります。政府系の住宅金融機関ですね。あそこがでたらめな住宅ローンの証券化をしたからいけないんだというわけです。では、自分は何をしたか。グリーンスパンはサブプライムを推奨したんですね。グリーンスパンとブッシュ息子政権は、「皆さん、サブプライムで住宅を手に入れましょう」とあおったんです。あおったというのは、やや大げさかもしれませんが、積極的に推奨したことはたしかです。少しぐらいあおっても、まず大丈夫だと踏んだのかもしれません。
 グリーンスパンの自伝なんか読みますと、私はこれは意義のある政策だと信じていたと書いています。2006年に書いたものですからまだ楽観的だったんですね。ところが、2007年になっていよいよ惨憺たる結果が出たら、グリーンスパンは100年に一度の大惨事なんだといいだしました。自分のせいではないというわけです。「100年に一度」というのは流行り言葉になりましたけれども、グリーンスパンは何でも100年に一度と言うんですよ。itバブルのときも、100年に一度の経済構造の大転換と言ってますから、まったくあてにならないんです。
 しかも、皆さんはあまりご存じないかもしれませんが、96年から97年あたりで株価が急上昇したことがありまして、これもitバブルの前哨戦だったわけでありますが、そのときにグリーンスパンは「根拠なき熱狂は慎むべきだ」と言ったということになっています。しかし、これは小さな集まりの講演で、付けたしのようにいったにすぎません。
 もし、アメリカ国民が熱狂を慎むべきだというのなら、彼は何をすべきかといえば金利を上げるべきでしたね。しかし、彼はやらなかったんです。なぜかというと、実は、彼はit革命は本物だと信じていたからです。それで、何をやったかというと、労働生産性の計算方法を変えて、アメリカの労働生産性が急進しているようなデータをつくり上げてそれを配りました。実は、グリーンスパンはitバブルをあおったんです。
 日本でも、竹中平蔵さんみたいな人ですら、グリーンスパンがそういうでっち上げのデータをつくるまでは、it革命というのは怪しいと経済雑誌に書いていたわけです。正しかったんですね。ところが、グリーンスパンたちがそういうでっち上げの数字をつくって世界中に配ったあたりから、it革命は本物だということになって過熱していったんです。いつもグリーンスパンというのは、熱狂をあおる側にいる人だったんですね。itをあおって、それからサブプライムをあおったわけであります。
 皆さんご存じのようにフレディマック、ファニーメイというのは準国営企業でありますから、ここはしっかりした審査をやります。しっかりといっても、どこまでしっかりしているのかわからないんですが、それでも審査をして住宅ローンを証券化していった。これがフレディマック、ファニーメイの仕事だったわけであります。一応、審査がかなり厳しいんですね。だからプライムローン、優良なローンと呼ばれたわけであります。
 これに対してサブプライムは、ろくろく検査をしないで収入の低い人とか、いろいろ問題のある人たちにどんどんローンを組ませて、それを民間の金融機関が証券化していったわけであります。プライムの下だからサブプライム。それを危険も顧みずにグリーンスパンが推奨し、それからブッシュ息子がやはり推奨して、「サブプライムで皆さん家を手に入れましょう」とやった。これはやはりあおったんですね。
 アメリカ経済というのは、弾力性があると言えば弾力性があるんですが、あおられやすいんです。それがわかっているから、当局は危ないと思うとすぐにあおるんです。2001年にit革命が崩壊いたしまして、2002年までの間に3兆ドル分がバブル崩壊で失われました。同じ時期、1年間の間に住宅バブルをあおることによって生まれた、見かけ上の資産の増加分は2.5兆ドルでございました。それで埋め合わせたんですね。
 で、うまくいったぞ、うまくいったぞと言ってるうちに、だんだん収拾がつかなくなりまして、2005年あたりになりますと、新しく建てられる家の4割が全部セカンドハウスだった。40%の家がセカンドハウスで、そのうちの28%が投資目的。それから12%がフォー・レジャー、つまり遊びのための家屋購入というような状態でした。そんなのは完全にバブルでございますね。
 ところが、2005年にコメントを求められてグリーンスパンは何と言ったかというと、これはバブルではない、フロスである。フロスというのはビールに出てくる小さな泡のことを言うわけであります。ごまかしたにすぎないんですね。でも、日本経済新聞は完全にグリーンスパンというのは神様だと思っておりますので、フロスと言った、さすがだと報じています。バカじゃないかと思うんですが、もう彼らが官製バブルをつくって乗り切ったと思ったら、やっぱり失敗した。そういう話でございます。
 それからもう一つ、デリバティブとか金融工学の話がありますね。例えば、野口悠紀雄さんなんかは、あれは科学なんだから、つくられた金融商品というのは正確に使えば効果があって、今回はでたらめな使い方をしたからだめだったというような言い方をします。また、こういう言い方もしました。証券化がだめならば株式市場だって証券化だからだめになるじゃないか。住宅ローンの証券化がだめなら株式市場もやめるのかというわけです。
 私はこういうふうに考えます。株式市場は400年も500年もやってようやく今の状態になって、規制もかけられるようになった。それなのに、新しく入ってきた別の証券化を、ろくろく規制もかけずにやったら、ものすごく危険なことになるのはわかっていたではないか。たぶんこういうのがコンサバティブな考え方だと思うんですね。

町村信孝清和政策研究会会長
 確かに保守主義経済政策ってないのかもしれません。ただ、明らかに社会民主主義と比べれば、それは社会民主主義は大きな政府であるし、大きな福祉だろうし、重い税金だろう。民主党は確かに軽い税金で大きな社会福祉って、それはまるで論理矛盾で、まともに考えれば早晩、重い税金にならざるを得ない。それにちょっとずつ気がつきはじめた閣僚が今いるのかなという気がするんですけれども。
 そういう意味で、しかし社会民主主義的経済運営とでもいいましょうか、あるいは経済政策に対比した保守主義経済政策というのは、私はできるだけ小さな政府を志向する。そうは言ってもなかなか小さくはならない。現に日本はこういう数字を見ても相当小さいんですけれども、でもやっぱり社会保障というのはもう少し充実していけという声があれば、それはある程度増えざるを得ない。したがって税金は増えざるを得ないと思うんですが、さはさりながら、方向感覚としては大きくない政府を目指すというのが私は社民主義との対比においてあるのではないのかなと思うんですよ。
 それが一つと、確かにここに書いてあるように財政赤字とかインフレ目標とかありますが、しかし財政の赤字はどんどん大きくしてもいいですよという政策があり得るかというと、それは金利の支払いだけでも国債費はどんどん支出が出る、ウエートを占めてきたら経済政策も財政の自由度もなくなりますから、やっぱり財政赤字というのは闇雲に大きくしちゃいけないし、大きくなりすぎたし、それはわれわれ自民党の反省材料だと私は思っているんですよ。
 そう思いますし、確かにインフレターゲット・ポリシーというのが正しいかどうかわからないけれども、しかしこうやってやたらは物みな下がるデフレ状態がいいというわけではないので、もう少しインフレ的、あるいはもうちょっとモデレートな物価上昇が可能なような経済をつくるにはどうしたらいいかなと、そういうことをやっぱり考えなければいけないんじゃないかと私は思うんですよね。
 労働生産性を上げる政策が何かというのは確かに難しいんだろうけれども、本筋はやはり1人当たりの労働消費率、資本消費率を上げていくという意味の設備投資、その中にitだって入るんだろうと思うんですよね。だから、何が保守主義の経済学かというのは難しいけれども、ここに書いてあるような問題点は、やっぱり解決すべき対象としてわれわれが取り組むべきではないかと思うんですがどうでしょうか。

下村政策委員長
 重なっての質問です。
 やはり今の民主党の政策の対極としての政策というのは必要であって、それは社会民主主義、社会主義的にもいってないということですけれども、しかしそのままいったら増税せざるを得ないような状況ですよね、破産してしまいますから。その中で、東谷先生から見たあるべき経済政策とは何かという意味では、政治主導であるという話の中で経済政策が決定するとおっしゃいましたが、今の町村会長と同じ視点から、じゃ、われわれが目指すべき経済政策として、先生のお考えについてあるべき形をちょっとお話ししていただきたいと思います。

東谷講師
 どうしても小さい政府というところに戻ってきてしまうんですが、なぜ小さいか大きいかで競わなくてはいけないのか私にはさっぱりわからないんですね。なぜかというと、データを見ても十分に小さいということがわかっているときに、もっと小さくしようよというのは議論にならないと思うんですね。だから、大きくもなければ小さくもない、必要な大きさの政府が必要なわけでありまして……でもわかりますよ、「方向性としては」とおっしゃってましたので。
 それから、政府が世界的に小さくなっているかといったら、いまもどんどん大きくなっているんですね。3カ月ぐらい前、ロンドンの「ジ・エコノミスト」が特集をやりまして、あんなに必死になって小さい政府と言ったけれども、全然小さくなってないじゃないかと指摘している。だから、大きな趨勢に対して、やはり警戒しなくちゃいけないよというのは、私は正しいと思うんですね。
 しかし、例えば小さな政府でもいいんだという議論のときには、必ずインフレターゲット政策で何でもできるんだという発想が、今まではくっついてきたと思うんですよ。そういう危ういところをクリアしていかなくてはいけない。今、ちょっと景気がよくなりましたので、あわてて財政支出をドカーンとやらなくちゃいけないという話ではなくなってくるのかもしれません。そうすれば、今、町村会長がおっしゃったように大きくない政府というのを考えていけるかもしれない。
 ただ、今アメリカでもう一回、二番底とは言わないけれども、けっこう衝撃のあることが起こるかもしれないという可能性もまだ残っているんですね。それは、商業不動産ローン証券というのがありまして、これも不動産ローンを証券化したものでありますが、2007年に発覚したのは個人用住宅用の不動産の証券の破綻で、今度の場合は商業不動産ローンの返済期限が2010年、今年あたりから始まって2012年あたりにピークを迎えるだろうと言われています。このあたりで、何らかの危機があるかもしれません。
 私が言いたいのは、どんな状況にでも備えることができるような、ものの考え方をしてないとまずいだろうということなんですね。一般論で議論していると、とても経済というものに対抗することはできない。ですから、私はそんなに違うことを言ってるとは思わないんですね。
 先程おっしゃられたように、例えば子ども手当とかああいうものは、誠にばかげたものだと思います。しかし、では、子ども手当を支払わないことを小さな政府と言うのかどうかということですね。子ども手当が最低なのは、せっかく日本人に、子どもの教育は自分たちでやろうじゃないかという気質がまだ残っているときに、それをぶっつぶそうとしているわけです。これは社会に含まれている、やる気や気慨をたたきつぶしてしまうことでありますから、非常にばかげた話であります。
 昨日もある人と話していましたら、出産率が増えるためには子ども手当が有効なんだというんですね。そんなの何の保証もないと私は思いますね。そういう、あとからどんどん理屈をくっつけていって、ばらまきを正当化していくというものには対抗していく必要があると思います。
 それで、おまえが正しいと思うのはどれなんだというかもしれませんが、例えば、先程私は郵政民営化についての考え方を申しました。それから今、子ども手当についても申しました。そうやって一つ一つ対応していけば、大体私の経済政策みたいなのが出てくるわけでありまして、あまり一般論で急がないほうがいいのではないかということなんです。
 一般論で話そうとすると、小さな政府、反社会民主主義ということになってしまうかもしれません。しかし、そんなものを決めておいたとしても、例えば2012年にものすごい勢いで商業用不動産ローンの証券が破綻して、それに対応するような政策をとらなくてはいけなくなったときに、いつまでもサッチャー的なことを言っていられるのかという話があるわけですね。私はそういうことを言いたいわけでありまして、一般論で何かこういうものが保守派の経済政策なんだというのは、頭を固くするだけですよということを言いたいんです。

町村会長
 ただ、今言われた子どもというのは本人の自助努力とまず保護者の責任であるぞよという美風があると。その美風を守ることが私は日本における保守主義だと。

東谷講師
もちろんそうです。

町村会長
 そういうものの考え方に照らしてみて、あるいは扶養するとか、配偶者の控除をすると。これはものの考え方として必要なことであって、夫婦相和し、相助け合うと。そういう考え方が保守主義経済の適用であって、それを最初から社会が面倒をみますと言った瞬間に……。

東谷講師
 もうだめですね。

町村会長
 もうだめなんじゃないか。だから、そういうものの考え方に基づいた批判なり経済政策というのはあるんじゃないかと思うので、さっきそう申し上げたんです。

東谷講師
 わかります。
 これは、先程、西田政策副委員長がおっしゃっていたんですけれども、例えば、私は「諸君!」という雑誌でとんでもない文章を書いたことがあるんです。構造改革というのは左翼の用語であるというものです。皆さんご存じのように、江田五月先生のお父さまがおやりになったのが構造改革、構改派という社会主義でございます。それに始まって、構造改革というのは私が数えましたら、2000年ごろに書いたと思うんですが、25種類ぐらいあるんですね。構造改革という言葉の中に何でも入っちゃうんです。
 当時いちばん驚いたのは、不良債権の処理が構造改革になっていたことであります。なぜ不良債権の処理が構造改革になってしまうのか。構造改革というのはやはり魔語、マジックワードなんですね。それで「構造改革」と言うと何となく納得してしまって、いいことなんだろうというふうに思うし、それから国民も何となく納得してしまっていた。それで「構造改革をやりましょうよ」「あ、いいことですね」となるわけです。
 私もたまにテレビにでるのですが、それもbsですが出たことがあるんですが、ある番組で、今の構造改革はちょっと方向がおかしいという話をして、だから構造改革という言葉を使うのはやめたほうがいいと、15分ぐらいにわたってしゃべりまくったのですが、そのあと司会者が言うんです。「そうですね。では正しい構造改革について考えてみましょう」。こういうふうな話になってしまうわけですね。
 ですから、構造改革なんていう言葉を使わないで、不良債権処理とか、それから教育制度の見直しとか、そういうものを一つ一つ考えていくと、必ずしも構造改革なんていう言葉は使わずに、もっと深い議論ができたはずだと思うのです。
不良債権処理をやることが構造改革なのかという話ですが、例えば、ブッシュの父親ほうが、レーガンが置き土産にした住宅向けの金融機関の巨大な不良債権を処理しなくてはならなくなりました。ブッシュ父親は国民の前に出てきて、彼の責任じゃないのにまずあやまって、それから税金を投入するんだということを言ったのですが、そのときに構造改革なんていう言葉は使ってませんね。ですから、何でも構造改革に放り込むようになって、構造改革ということでは非常に訳のわからない言葉になっているということがあります。それと非常に似たところに小さな政府という言葉もあった。小さな政府と言うと何かいいことであるかのように思ってしまう。で、あまりよく議論しない。
 例えば、私がここに示したような公務員数の比較は国民のほとんどは知りません。こんな傲慢なことを言うのはなぜかというと、よく地方なんかの講演でこの数字を示すとウソつきと呼ばれます。それから、新聞記者にこの数字を見せて、「なんであなた方は簡単に公務員を減らせとかそういう意味のことを書くんだ」と言うと、嫌そうな顔をして見て「知らないわけではない。しかし国民は公務員が多いと信じている」というわけです。理屈にも何もならない議論をするわけですね。
 しかし、こういう数字を前提として議論というのはしなくてはいけないわけで、だから小泉政権のときも再三小さな政府と言ってたものが、途中から「効率のよい政府」にフレーズが変わったりしましたね。さすがに、そろそろ小さな政府ということで何か物事をおさめていく、あるいはそっちのほうに引っ張っていくというのは、たぶん無理になってきてるんじゃないかと私は思うんです。
 そろそろ国民も、この数字がだんだん気になりはじめると私は思いますし、そうなったときに小さな政府と言ってるのは、逆に不利になりはしないですかね。それがちょっと気になります。もちろん、方向性として大きな流れで見ると、世界的にどんどんどんどん大きな政府といいますか、一般政府支出は大きくなりつつあります。だけれども、それだからといって小さな政府ということが政治スローガン、あるいは政治テーマとして成立するのかどうか。この数字を見るかぎりは、私は非常に否定的にならざるを得ないということなのであります。

末松委員
 軍人さんは公務員の中には入ってないですか。

東谷講師
 入ってます。全部入ってます。
 こっちの35.1で始まるところは日本でつくったデータですので、独立行政法人、特殊法人、そういうのが入っております。それから、44.20というのは野村総研が外国のいろんなデータと照らし合わせたので、いわゆる政府系企業とかそういう定義のものが入っている。括りがちょっと違うんですね。
面白いのは、日本経済新聞がこんなに小さいはずはないだろうというので、収入の大半をお国、もしくは地方公共団体からもらっている人の数を集計しましたら、1000人につき70人ぐらいだったんです。ほら見ろ、やはり大きいじゃないかというわけです。バカじゃないかと思ったのは、他の国だって同じような調査をしたら、きっと多いに違いないわけであります。そういうことをやらないで、日本の政府も公務員数も大きいことにしたいという風潮があるんですね。これは、やっぱりばかげたことじゃないかと思えて仕方がないんです。そうすると議論が前に進まなくなってしまうのではないか。

西田政策副委員長
 私が東谷先生を推薦しましたのは、こういうこともそうなんですけれども、ぜひ先生からお話しいただきたいんです。
 要するに、今いちばん大きな問題は、日本は今まで戦後ずっと成長しましたね。成長したんですけれども、その成長ができないというのが見えてきてるんです。それに対する覚悟のなさなんです。
 で、隣の中国はものすごく大きくなってますね。それにすくわれてしまうんじゃないかという話なんですが、どのみち先進国は人口が伸びなくなってきたら成長は止まるんですよね。止まって当然で、その富を国内にどう循環させるかという仕組みをつくらずに、グローバリズムを放っとくと、どんどん、どんどん、中国に取られちゃう。企業は儲かるんだけれども、企業が儲かってある程度配当するときも国内に戻ってきますが、雇用自体がなくなってしまうというとんでもない空洞化が出てきますよね。
 だから、本当は日本が考えなきゃならないのは、隣でああいう巨大な市場と生産地があって、それをそのままグローバリズム・オーケーで、効率オーケーでやっていくと国内が急激に空洞化してしまう。しかも、それでも仕方ないんだとやっていっても、最後は中国自身が資源の問題で行き詰まってしまうと思うんですよ。結局は成長型の経済というのが今の地球の環境の中ではそうそういかないと。
 だから、それに対して先進国などが自分のところの経済を守るために、ケインズが言ってるのもそういうことだと思うんですけど、まさに自国の経済を守るためには、ある程度税金を上げてでも国内に強制的に循環させる仕組みをつくりだすとか、そういう話をたぶんよその国もしだすはずなんですね。だから、そういう視点をちょっと示していただきたいと思うんですけれども。

東谷講師
 少し話が別のところにきたのかもしれませんけれども、私がなぜケインズの話をしたかというと、いま西田先生がおっしゃったことなんですね。グローバリズムというのは非常に魅力的なものであって、チャーチルたちもこのままイギリスの帝国を続けていきたいと思ったに違いないんです。帝国というのは大英帝国だけではなくて、「見えない帝国」と言われたものもあった。見えない帝国とは何のことかというと、シティの、主にユダヤ系の人たちが世界中に張りめぐらした金融のネットワークですね。その金融のネットワークから、イギリスは長い間にわたって非常に恩恵を得てきたわけです。
 ところが、恩恵を得られなくなる局面があるんだということですね。それはやっぱり自覚しなくちゃいけない。だから、グローバリズムというものを手放しで喜んではいられない。グローバリズムに対抗するものの考え方を持ってないと、本国が弱体化するのを防げない。これは、先程言いましたディズレーリのあとに保守党の首相になったソールズベリが言ったんですが、「多少の苦しさはあっても、歴史の連続性とか自分たちのものの考え方まで変えられるくらいだったら、やらないほうがいいことがこの世の中にはあるんだ」。経済問題を考えるときには、大切な考え方ではないでしょうか。
 日本のいろんな経済的資源は全くないわけではありません。いまでも、いろんな方法が考えられると思うんですよ。今、西田政策副委員長がおっしゃったようになるたけ国内循環型の経済をつくっていこうじゃないか。そのためには政府だってある程度の大きさを持たなくてはいけないということになるかもしれませんね。
 それからもう一つは、小さな政府にこだわるようでいやなんですが、財政赤字を解消していくには残念ながら政府の規模が小さいとだめなんですね。ある程度の大きさを持って、そこで償還するおカネをつくり上げていく、中くらいの政府みたいなものをつくっていかないと、とても解決不可能なのだというのも、もう一つの条件であると思います。グローバリズムの中でそれもやらなくちゃいけないという、ものすごくいっぱいの課題がある中で、やっぱり考えなくちゃいけない。
 パタパタパタッと、ここで3つぐらい魅力的な経済政策を提案できればいいんですが、その能力が私にあるかといえばそんな能力があるわけもありません。ただ方向性としては確かに大きくなる政府というものを警戒しなくちゃいけないのだけれども、ある程度のサイズを持たないと今の問題を解決できないということも確かなんですね。

下村政策委員長
 本質論に入ってきたところなんですけれども、時間がオーバーいたしましたので、またこの問題はわれわれのほうでも議論を引き続きしていきたいと思います。今日は先生、大変にお忙しいところをお越しいただきましてありがとうございました。 



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